ナレーターの嘆きあるナレーターの嘆き。 そのナレーターは50代半ば過ぎの男性。仮にS氏としよう。S氏の声は、テレビを見ていると番組のナレーションやニュース内の特集コーナー、そしてCMなどで誰もが一日に一回は聞いているはず。今、最も売れているナレーターのひとりだ。その彼が、飲みながらしみじみ言ったこと。 「静かな番組をやりたいね」 制作現場では、もっと明るく、もっと楽しく、もっと力を入れて、もっと感情を込めて、もっと大げさに、もっともっともっと・・・・の連続だとか。 その要求にこたえると、ナレーションは無用なテンションが張りつめ、メリハリがつきすぎ、やっている自分でもうるさいと思えるようなものになる。 「オンエアで自分の声を聞き直すのがイヤなんだよね、聞き苦しくてさ。どうかすると、サッカーのゴォォォォォォォォォォ~ルゥゥゥゥッッッ!!!と同じになっちゃう。声って、張り上げればいいってもんじゃないんだよ」 でも、現実はもっともっともっとの繰り返し。かんで含めるような、言葉の行間を読んでもらえるような落ち着いたナレーションをやれることはめったになく、今の制作現場にほとほとイヤになっているとか。 その話を聞いていたローカル局の、これも50代のプロデューサーは言った。 「オレも静かで、それでいて心にしみる番組を作りたいんだけどさ、落ち着いた番組にすると数字がとれないんだよね。どうしてみんな、あんなやかましい番組を見たがるのかなぁ。視聴者の気持ちが全然わからん・・・・・・」 番組が数字を取らなければ営業収入に直結するから、プロデューサーの悩みも切実。ドキュメンタリーは数字を気にしなくていいという時代も変わりつつある。目標視聴率は5%、それが2%台をうろうろしていたら、プロデューサーの心も安らかじゃない。 プロデューサーの言葉を聞いて、ナレーターのS氏が続ける。 「仰々しい形容詞とか、必要以上に力を込めた声とか、そういうナレーションに見ている人がなびくのは事実だもんな。みんな、番組を真剣に見てくれてないんだよ。大きな音とか扇情的な言葉のときだけ、画面を見てる人が大半だから」 プロデューサーもうなづき、 「最近は画面もうるさいだろ、バカでかいスーパーがもういいよっていうほど出てくる。あれ、出さないと、手抜きだって視聴者からクレームがくるんだぞ。あんな字だらけの画面、みんなどこを見てんのかな? わからん・・・・。それに、昔、あんなスーパー出してみろ。カメラマンが『オレの映像を汚すのか!』って激怒したんだけど、今はそんな反応なんかもう全くないもんなぁ」 答えて、S氏、 「作る方も、見る方も、おかしいよ、最近。番組の中身じゃなくて、外観で勝負してるようなもんだから。派手で目を引けばそれでいいって感覚しかない。ドキュメンタリーはそうならないで欲しいと思ってたけど、タレントのネームバリューに頼ったり、ろくにしゃべれもしない局アナの甘え声で気を引いたり。もう、ドキュメンタリーにも期待できないな」 そして、S氏は再度繰り返した。 「静かな、ナレーションが心にしみる、そんな番組をやりたいよ」 S氏は来年の秋口には東京を引き払い、田舎に引き込むと言う。そして、自分のやりたいと思える番組や、語り構成の舞台活動をやっていくつもりだとか。 またひとり、テレビの世界に愛想をつかした。 だいじょうぶなのか、この業界。 ジャンル別一覧
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